自分の過去を洗ってみました。どうやってこんな多様な見方ができるようになったのか?
その答は・・・
今までの経験をさらってみると共通項が見つかりました。
・無理難題(やりたいこと、目的)がある。
・与えられていない。(制約事項)
・工夫する。
つまり、やりたいことに対して、ありとあらゆる工夫をしてきた、ということです。
「与えられていなかった」というのが大きいですね。
子供の頃、あまりおもちゃとか買ってもらえませんでした。
なので、身の回りで工夫するわけです。
「これはもしかしたらこいつに使えるかも?」
ここで、ものが持つ「フレーム」を壊し始めています。
普通の人だと「これはこの用途だ」と思い込んでいます。
それを壊し始めるわけです。
そりゃ、そのものズバリが無いから苦肉の策ですね。
ボーイスカウトでの体験も同じです。
・缶詰を食べたい(やりたいこと)
・でも缶切りを忘れた(制約事項)
・工夫する・・・
ナイフがあればそれを使う。もしなければ・・・
おっとスプーンの柄が。
この柄は使えないか?
柄が尖っていないから無理?
じゃ、石で研いでしまえ。
となるわけです。
これがその後のゲームプログラミングになると
・フルカラーのスクロールで動かしたい(やりたいこと)
・マシンスペックが低い(制約事項)
・工夫する・・・
この場合はさらに高度になってきます。
どうやってもフルカラーは無理。
ですが、RGBのうち1色を落とせば可能。
つまり、「フルカラー」=「きれいな表現」を本当にやりたいことと置き換えれば可能となるわけです。
(RGだけでも工夫すればかなりの色を作り出せるのです。)
ここでは目的のフレームを変えることを無意識に行っています。
つまり、物事を見たままであれば、それ以上のことはできないのですが、このように
・使えるものの「フレーム」を変える
・目的の「フレーム」を変える
このことで、解決へと進めるわけです。
これをホント幼稚園からずっとやり続けていたわけです。無意識に。
これにはまだまだ奥深い意味が隠されています。
それは次回にお話します。